メガネは身体の一部です

社畜が猫とかスマフォとかダイエットとか書いたり書かなかったり。

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仕事の愚痴的な

今年度は年度に入ってから異動があった。

もう半年は経っているけど、未だに勝手が掴めない。

自分よりも若い人たちはゴリゴリ仕事をやっているように見えて、実はそこまででもないのでは?という疑惑も。

2部署目ぐらいの人の万能感みたいなものは何なんだろう?

そろそろ自分が求められているものを踏まえての行動をしないといけないのかも。

残業時間が減っても生活の満足度が増すわけではない

最近仕事が変わった。

 

以前はそこそこの残業もあって、通勤時間も片道1時間以上はかかっていた。

それが、今度は残業はなく、通勤時間も片道30分未満ときている。

当然、日々の生活の満足度も上がるものだと思っていた。

 

しかし、そうはならなかった。

 

日常に充足感が増すわけでもなく、むしろモヤモヤしたものが澱のように溜まっていっている気さえする。

 

思い当たる理由はひとつ。

自分の自由に使える時間がほとんど変わっていないからである。

 

労働時間が減って帰宅時間が早くなっても、必ずしも自分の時間が増えるわけではない。

早く帰った分を家族との生活に充てる可能性のほうが高い。

通勤時間も、今までは一定の長さがあったために、その時間で何かすることができた。

しかし、短すぎる通勤時間はそこで何かをすることすらままならない。

 

さらに、労働時間が減るということは、収入の減少にも直結する。

そうすると、影響度合いとしては

収入減 > 自由時間の(微)増

となるわけである。

 

家族に充てる時間が増えたのだから良しとすべきなのかもしれないが、家族さえ良ければ万事オッケーというわけにもいかない。

そもそも、家族の維持にも収入は不可欠である。

 

結果として、全体で見るとなんとなく満足度が変わらない(または減ってすらいるかもしれない)状態ができあがった。

これは多少は予想していたとはいえ、いざ体験すると考えてしまう。

 

この状態を解決するには

①収入を増やす

②自分の時間をコントロールする

あたりが策だろうか。

 

①は現状難しい。

残業する必要があるわけでもないし、副業も望めない。

 

となると②になる。

もう少し自分の時間の使い方をコントロールするしかないのか。

例えば、早寝クソ早起きにするとか?

 

試行錯誤しないとならんな。

休み方を学ぶ重要性

ゴールデンウィーク休めましたか?

自分は休んだ気がしません。

 

最近は休み方を学ぶことの重要性を感じているところで、休むということはなかなか奥が深い。

 

どうも、休むとはゴロゴロ寝ているだけではなく身体と心を切り替えるためのことなのではないかと思い始めている。

いくら寝ても疲れが取れないし、エネルギーが湧いてこない。

 

この前読んだマンガでは、体力をHP、精神力をMPとして、MPだけを消費していてはイマイチ眠れないという話があった。

そこでハチャメチャに体力を使ってよく眠れるようになるという展開だったが、これは思い当たる節がある。

【参考】

kuragebunch.com

 

高校生までは部活で体力を使い切っていたからよく眠れた。

しかし、大学以降はそれほどの運動をすることもないため、体力は減りきらずに良いリラックスができていないのではないか。

 

とりあえずは体力を使い切るためにも、ジムにでも行くか?

飯が雑だから心が荒むのか、心が荒んでいるから飯が雑になるのか

鶏が先か卵が先かみたいな話になる。

 

このところ(というか以前から)クソみたいに常に疲れている。

疲れている上に心もなにか満たされない。

 

一体なぜか?

仕事?生活環境の変化?

どれも当てはまる気がする。

 

そのうえで影響が大きいと思っているのが、食事がままならないということである。

 

今は食事が不規則かつ不安定な内容となりがちなのだが、これが思いのほか心を削っている感じがある。

カップラーメンとコンビニ飯のすべてが悪いわけじゃないけど、こればっかり食っていてもなかなか力にならない。

 

じゃあそんな飯やめれば良い話なのだが、節約やら手間やらでどうにもいかないわけで、要するに生活が整っていない。

整っていないため、食事に気を使う余裕がない。

 

解決するには食事と生活を両輪でアップグレードしていかなければならないのだが、それができるならばこうはなっていないわけで。

 

もう、一発当てて生活を劇的に変えるしかないのでは?とか思う次第。

 

継続は力なりとか耳にタコができるぐらい聞き飽きているわけで

「継続は力なり」

 

 

他にも「毎日コツコツ」「1日5分だけでも」といった似たような言葉が巷に溢れている。

これらは全くもってその通りだと思うし、何か活躍している人は大体やっている。(やったら活躍できるわけではない)

 

自分もこの言葉に幾度となく感化されては、その度に放棄された目標が山積みになっている。

 

今月に入ってからだけでも「通勤途中に読書する」「その日の出来事を少しでも記録する」「勉強する」「毎日ストレッチする」などなどいくつでも思いつく。

 

 

 

 

「三日坊主」

 

 

実に言い得て妙な言葉である。

大体の目標は3日、良くて1ヶ月ぐらいで放置された。

忘れたわけではないけど、何となく先延ばしにしてしまうのだ。

 

いったいなぜなのか。

始める時はそれなりの意気込みを持っていたのにも関わらず、続かない。

 

なぜだろうと考えてみると、ひとつのことに思い当たる。

それは、続けていても目に見える成果が現れにくいということだ。

読書や勉強をちょっと続けたところで何かがすぐに変わるわけではない。

それこそ年単位でしっかりと続けると血肉になってくる(と感じる)。

 

また、目的が大雑把すぎるのがよくない。

何のためにやるかがわからないから、ゴールも見えにくい。

自己啓発書で、目的を具体的にする、ゴールを細かく分けると書いてあるのを何度も読んだけど、そういうことなんだと思う。

 

今日で4月が終わるけど、唯一習慣化できたものが、

「出勤前にカフェでコーヒーを飲む」ということ。

一時期資格試験絡みでやっていたことがいつの間にか癖になり、勉強していないのに続いている。

 

単にラテマネーだけが出ていくよ。やったね!

 

ダンジョンズ&ドラゴンズはいいぞ

久しぶりに小難しいこと抜きに観れる映画だった。

 

 

ダンジョンズ&ドラゴンズを映画館で観た。

ここ最近映画を観てなかったし、なんとなく元気を出したかったので、Twitterで評判が良さげなこれを観てみることにした。

(直近で観たのはエブエブとミッドサマー。エブエブは頭空っぽでみるには複雑だし、ミッドサマーは元気とは程遠い)

 

最初はシン・仮面ライダーのほうが気になっていたけど、どうもNHKでやったドキュメンタリーとかの感じから元気が出る物語ではなさそうなので、こちらはプライムビデオへの登場を待とう。

 

ダンジョンズ&ドラゴンズ自体はTRPGが元ネタのようのようだけど、当然知らない。

予告は映画館やネットに流れているやつを断片的に見ただけで、冒険ファンタジーもの?ぐらいの印象。

 

映画館での客入りはまばら。

始まると序盤から「これTwitterで見たことあるやつだ」というようなシーンが続出。

しかし、何よりも小難しく考えることなく物語がスッと入ってくる。

これは見せ方が上手いのはもちろんのこと、大元のストーリーが「仲間を集めて悪いやつと闘う」というハチャメチャにシンプルなものだからだと思う。

 

シンプルだけど単調ではなく、次どうなるんだろう?というワクワクやハラハラが良いテンポで続いてくる。

おそらくTRPGが元ということもあり、理解に時間を要する世界観や説明もないし、残虐だったり性的なシーンもない(と感じた)ので、大多数の人が娯楽として楽しめるんじゃないだろうか。

 

あと、個人的には泣かせにくるようなストーリーってあまり好きじゃないんだけど、この映画は思わずジーンときちゃった。

(もう、そこまで含めてお約束の流れとして、その上でもやはり)

 

内容は観てもらえばわかるからいいとして、好きなキャラクターはサイモン。彼の活躍はぜひ注目してほしい。イチオシ。

次はドリック。有能すぎる。

忘れてはいけないのはゼンク。カッコ良すぎる。ああいうようになりたい。

ホルガも強い。逞しい。

主人公エドガン。変なカリスマがあるな。途中でカッコ悪いけどカッコいい。

 

敵も良い。

フォージ。胡散臭い。悪役〜という仕草の塊なのに漏れ出る小物臭。

ソフィーナ。強すぎるだろ。

 

あとはモンスター陣も魅力的なんだけど、ここは省略。

 

いずれにしても、最近観たなかでは一番に安心して元気の出る映画だった。

また観たい。

 

 

人には優しくありたいよねというお話

職場の空気が悪い。

 

別に自分が何かされているわけではないけど、どことなく攻撃的だったり、嘲笑的な空気が漂っていると感じたことはありませんか?

 

うちの課内はまさにこの状態です。

特に隣のグループ。

 

仕事ができる(はず)人が、事あるごとに仕事相手のことを嘲笑ったり見下すような発言を、相手がいないところでする。

そして同じグループメンバーはそれに乗っかって盛り上がる。

 

まあ、どこでも見かける光景だとは思います。

 

でも、この内輪ノリみたいなのが聞こえてくるたびに気分が沈むのです。

自分はこういうノリは控えたほうが良いと常々感じる側です。

 

こんなことを本人たちに言ったところで、

「相手をしたことがないからそんな生易しいことが言えるんだ」

とか

「あいつらは本当にヤバいからこんな風に言われても仕方がない」

とか返ってきそう。

 

けれど、相手方も人です。

やっぱり、いくらかの敬意を払う必要はあるし、優しさというものを持ち合わせておくべきじゃないでしょうか。

 

それに、相手からみたこちら側も、結構同じように思われているかもしれません。

自分だったら、こんなノリの相手とは仕事であってもお付き合いしたくないなぁと考えてしまいます。

 

そりゃ、相手の態度が悪いことや、ミスが多いこと、思い通りに進まないことも多々ありますが、最後は心の何処かで、まぁしょうがないよね、と思えるような優しさを持っておきたいもんです。

 

そして、それはいずれ回り回って自分に返ってくるのではないかと、わずかに期待して日々を過ごしています。

 

まぁ、悪口で盛り上がるのもしょうがないよね。