メガネは身体の一部です

社畜が猫とかスマフォとかダイエットとか書いたり書かなかったり。

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「自信を持て」というアドバイスの無責任さについて

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「もっと自分に自信を持ちなよ」

 

自己啓発書に限らず、巷でもよく耳にするこの言葉。あなたにも、こんなアドバイスをしたり、されたりすることは一度ぐらいあるだろう。

 

 

一見するともっともらしく聞こえるし、実際間違っていないどころか正しいアドバイスであると思う。

けれど、言われたことのある人の大半はこの言葉を聞いて少なからずイラッとしたことがあるのではないか。

 

私にはこの言葉がすごく無責任だと思っている。

というのも、大抵の場合、この言葉は言った側の自己満足で終わるだけで、何のアドバイスにもなっていないからである。

そもそも「自信を持て」と言われるような様子とはどんな状態なのか。

ぱっと見おどおどしていて大人しそうな様子?それとも本当に自信がなくて困っているような様子?

 

前者であれば、本来の性格がそういうものなのかもしれないし、自信の有無については関係があるかどうかも怪しい。もしかすると、何言ってんだコイツ…ぐらいに思われているかもしれない。

 

そして後者の場合。

この場合、まずもってアドバイスにも何にもなっていない。

自信がない=自信を持てていない人間に対して自信を持てというのは、恋人できないっていう人間に対して作ればいいじゃんというぐらい具体性がなく、全く意味が無い。

当人にとってはそんなことは言われなくてもわかりきっているものであり、それをさもありがたい言葉のように言われると、露骨に邪険に扱うこともできないことも相まってますます追い詰められたように感じるものである。そして、できない自分はダメな人間と思い込んでより自信がなくなるというループに嵌る。

言った方としてはなんとなく良いこと言ったみたいな気分になれる分、結構使いやすい言葉であるが、あからさまに無責任である。

 

もしあなたが「自信を持て」というアドバイスをするのであれば、その人の良い所を見つけ出すことをセットにするべき。◯◯が優れているからそのことには自信を持っていい、とか具体的に。

 

自信とは一朝一夕に身につくようなものではない。昔からの積み重ねによって自信は裏付けされる。

だからこそ、投げっぱなしジャーマンみたいな無責任なアドバイスはこれっきりにしたい。