メガネは身体の一部です

社畜が猫とかスマフォとかダイエットとか書いたり書かなかったり。

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常守朱こそが一番の化物なんじゃないかっていう妄想

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劇場版サイコパスをレイトショーで見てきたので感想でも。

 

お話としては、主人公の常守監視官を中心として事件の裏を暴き、最後は常守監視官がシビュラシステムに対して説教をブチかますというパターンであり、テレビシリーズと同じ型を保っていたといえる。

 

ストーリーは安定した型であるため、何の不安もなく楽しめたのでとりあえず置いておくとして、個人的に気になったところをひとつ。

 

今回は、テロ首謀の容疑者となった狡噛を常守監視官が追っていく、というのがひとつの筋になっているわけだが、その狡噛と常守監視官(及び周辺人物)との間で、それぞれの性格や生き方のようなものがかつてと比べて「変わった」とか「変わっていない」とか言うやりとりがある。

 

狡噛は、獲物を追う狩人が獲物に似通ってしまってくるがごとく、槙島を追い続けていたうちに自信も本人の意図にかかわらずそれに近づいてしまっていることが。これは確かテレビ1期でも言及されていたと思うし、今回はそれに磨きがかかってきている、ということであった。

 

一方で常守監視官に対しては、1期からずっと一緒である宜野座含め「変わったような気もするけどやっぱり変わってないな」的な感じの言い様である。

 

けど、どう考えても彼女が「変わっていない」なんてことはありえない。そりゃ、槙島を追い、シビュラシステムの真実を知ったあたりと比べればそこまで変わっていないと思う。しかし、公安に配属された当初や、フワフワした志望理由しか持っていなかった頃と比べれば、成長なんて言葉では生ぬるいぐらいの変化を起こしているはずである。少なくとも、変わっていなかったらシビュラシステム相手に取引を行うようなことはできないだろう。

 

ところで、サイコパスの中ではシビュラシステムが理想の社会を作り上げているという前提に対して、主人公や槙島等のメンバーがそのあり方に疑問を投げかけている。そのため、主人公である常守監視官は各章ごとにシビュラシステムに変化を求め、それを実行させている。

一見すると、常守監視官という人物を通して一般市民の意見を代弁させているようにも見える、んだけれども、なぜかこう、常守監視官の主観に過ぎないような気がしてならない。

加えて、常守監視官はシビュラシステムに利用価値があると思われていることを利用して、己の意見を通させているフシが感じられる。特に劇場版ではそれが露骨に。

 

なんだか、常守朱はシビュラシステムなんかよりも比べ物にならない「化物」に変わってしまっていくのではないか。

ふとそんな気がしてしまった。

 

 

眠い。なんかうまくまとまらない…

あと、傭兵グループのリーダーを見ているとカウボーイビバップ思い出した。

それと、ヘタレじゃないギノザ素敵よね。メガネかけてないの惜しいけど。